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灯油の誤飲〜シータンの入院〜(ごほうび会員:ハイランド37)


■1歳の娘が灯油を誤飲!
 1999年5月6日、私とあずさ(あーちゃ・4才1ヶ月)と静(シータン・1才8ヶ月)は転勤で宇都宮市に住んでいる私の両親の家へと向かった。到着当日の17時、私とシータンは先に入浴をすませ、おばあちゃんとあずさが入れ替わりに入浴していた時のことだった。春とはいえ、急に寒くなることもある宇都宮ではまだ灯油ストーブが出してあり、 シータンは台所に立てかけてあった、灯油ポンプがマグカップに差して立ててあるのをながめていた。私があずさの下着の着替えをとりに、一瞬台所を離れたその時、シータンが台所で激しくむせている。とっさに、マグに入っていた灯油ポンプから流れ落ちた灯油を飲んだ、 と判断し、入浴中のおばあちゃんにすぐ出てきてもらい、近所の小児科に連れていってもらう。

■近所の小児科から大学病院の救急科へ
 「灯油を誤飲した」と聞くと、先生が「ここでは対処できないから、胃洗浄できる大病院へ」と独協医大の救急科へ連絡してくれた。時刻は18時前で、道路は夕方のラッシュで混雑している。自家用車でいったなら、軽く1時間はかかりそうなので、小児科のならびの消防署へ連れていってもらい、そこから私とシータンだけが救急車で独協医大へ向かう。 残されたあずさは、おばあちゃんと一緒ながら、心細い表情で見送っていた。
 救急車内では、状況説明や問診、シータンの血圧や体温、脈拍などを調べていた。それまで、むせてゲーゲーという音をさせながら咳をしていたシータンが、このころはだんだんウトウトと眠りに入っていた。ところが、消防署の人は、シータンが寝ているのか、昏睡状態なのか確認するため、 以前より緊張感を漂わせて調べている。それまで、「そんなにたいしたことはないだろう」と気丈に対応していた私は、「もしかして本当に危険な状態なのでは」と急に心配になり、病院へつくまでの約15分間がとても長いものに思われた。

■大学病院の救急科での処置
 ようやく着いた救急科では、シータンを寝台に寝かせ、先生は息のにおいをかいだり、問診したりしているが、胃洗浄はする様子がない。一刻も早く、と焦っている私には、ひどくいらだたしい風景だった。しばらくして私は診察室外へと出され、シータンは採血され、レントゲン室に連れて行かれ、レントゲンをとり、点滴の管をつける処置を受けていた。その間、 シータンは恐怖で泣きわめき、もがいて看護婦さんやお医者さんはとても苦労していた。
 先生との問診の中で、どの位灯油を飲んだか、としつこく聞かれたが、マグにどれほど灯油が残っていたか、どれほどこぼしていたか、など私はわからないことが多かった。「子供の、灯油による致死量は20〜120ccです。こういうことは結局お母さんの 不注意です。」といわれ、目立った処置をしない医者たちにイライラしていた私に、まさに泣き面にハチといった言葉だった。さらに、「灯油の誤飲はとても危険です。灯油は揮発性なので、胃洗浄をするとかえって気管支に逆流して悪化します。さらに揮発した灯油により肺炎を起こすことがあり、肺炎にならないよう、急遽入院 してください。」という。

■入院することになったシータン
 「やれやれ、とんでもないことになった」と青ざめつつ主人に連絡するがつかまらず、伝言を頼む。こういう時携帯電話があれば、と初めて携帯電話の必要性を感じた。レントゲンを終え、点滴の管を付けて大騒ぎしながらシータンが帰ってきた。私が抱くとようやく泣き止み、ぐったりと体を預けてくる。白衣のこわい大人たち(彼女にとっては)に囲まれ、さんざん痛いことや恐いことをされたシータンは、しばらくヒクヒクとしゃくりあげていた。私は、そんなシータンの姿が哀れでしょうがなく、シータンに「大丈夫だよ」と声をかけつつ、ポロポロ涙をこぼしていた。
 案内された病室は、小児科の6人部屋で、3才くらいの女の子を始めとしてあとは1才前後の子供たちが4人、入院していた。完全看護なので、親は泊まることが出来ず、シータンは入院初日なので私は21時までの付き添いを許されたが、普通は20時までに親は帰らなければならない。1才くらいの男の子につきそっていたお母さんが20時に帰ると、その子は寂しがってずっと泣き続け、シータンは私のひざの上で余裕しゃくしゃくに「ナイテルネ〜」と笑う。自分も、あと1時間後には同じように泣く運命にあるとも知らずに。病室に入る頃には、シータンはすっかりいつもの調子をとりもどし、唯一左手についている点滴の管と固定用の台座が付いた包帯だけが不便そうだった。 肺炎は誤飲から48時間以内に発症する可能性があるらしく、今元気だから大丈夫というわけではないとのこと。とはいえ、母親の実感からして、これは大丈夫だと確信していた。ともかく、先生の診断に従って、この甘えん坊のいたずら娘を一人で病院に残さなければならないことだけが、かわいそうで心配だった。
 約束の21時がきた。シータンのすごい筋力にかかったら、このベッドの柵など簡単に乗り越えて落っこちるかもしれない。点滴の管も隙あらばぬこうとしているし…。看護婦さんは、3人で20人の子供たちの面倒をみなければならず、シータンばかりにかかわりあっていられない。そこで、苦肉の策か、病院内では常識なのか、シータンの両手両足に包帯を巻き、その先をベッドの柵に縛っている。つまり、シータンはベッドの上に大の字の状態で固定されたのだ。寝返りも打てず、激しく泣いている。助けを求めてママを見上げると、頼みのはずのママは自分のもとから、病室から去ってしまう。それはもう、絶望のなげき声を上げていた。かわいそうで、後ろ髪を引かれる思いで、それでも帰らなければならなかった。
 家に帰ってからも、シータンのことが気になってしょうがなく、あれから眠れただろうか、泣いて鼻水がでてもぬぐうこともできず、さぞ不愉快だろう、とずっと考えていた。けなげにおばあちゃんたちと待っていたあずさも、ママが戻ってきたからと素直に喜べず、なんとなく落着かない様子。その夜は一晩中、シータンの夢を見た。

■入院2日め…シータン元気を取り戻す
 次の日の面会は14時から。午前中は時間がノロノロと過ぎていき、持て余し気味だった。病院に13時45分ころにつくと、シータンは泣きはらした顔をして、おびえた目をして看護婦さんに抱かれ、レントゲンをとりに行く所だった。看護婦さんに代わり、私が抱いてレントゲン室に向かった。昨日からずっと点滴を続けているので、点滴の装置を引きながら移動した。 レントゲンをとる時がまた一苦労だった。いきなり変な部屋(シータンにとっては)へ連れて行かれ、オムツだけの状態にされ、レントゲン撮影用の台に仰向けに固定され、手をあげた姿勢で手足をマジックテープで縛られ、体が動かないようにネットをつけられる。と、その台が寝た状態から床に垂直へと起き上がり、変な機械が自分の前に近づいてきて、部屋が薄暗くなり、周りにはだれもいなくなる。方向を変えてもう一枚。これらすべての間、シータンは泣きわめき、おびえ、なんとか逃げ出そうともがいている。隣の部屋に控えている私を見て、すがるような目をする。ワケがわからないゆえの恐怖心なので、おかしくもあり、哀れでもある風景だった。
 レントゲンが終わり、病室へ帰ってしばらくくつろぐ。病室には、保護者一名しか付き添うことが許されていない。シータンに、差し入れで持ってきた絵本とミニーのぬいぐるみを出したら、ミニーをしっかり抱き、お気に入りの「ポッペン」の絵本を10回くらい連続して読まされた。しばらくして、教授の回診があり、「今日一日様子を見て、問題なければ明日退院ですね。」と言われる。今日シータンは退院できると思っていたので、ちょっとがっかり。その後、主治医の先生が来て、レントゲンの結果、「肺炎の影も見えないので、抗生物質を注射してから点滴をはずしましょう。」と言われる。さらに、「今日の夕食から食べてもいいですよ。」え、それじゃ今まで食事抜きだったの?
 シータンの夕食の給仕をするために私だけ病院に残るので、自分の夕食を買いに一階の売店へいく。点滴がはずれたシータンは、小児科病棟の待合室に行くことを許可され、そこで待っていたおばあちゃんとあーちゃと感動の再会(?)をする。その間に、私は売店へ。あとで聞くと、シータンはとても病人とは思えない張り切りようで、あーちゃと遊び、走り回り、イスを上り下りし、大喜びだったとか。あーちゃにしてもうれしくて仕方ないようだった。 その後おばあちゃんとあーちゃは家に帰り、20時におじいちゃんに迎えに来てもらうことにする。
 18時に夕食が運ばれてくる。おかずはエビのボイルとかまぼこ2枚、ポテトサラダ、金時豆の煮物、りんごにヨーグルトだった。エビとかまぼこは、シータンには歯ごたえがありすぎて、普段は食べないのに、今回は丸一日絶食していたため食べ物に飢えていて、エビとかまぼこを一口ずつ食べる。食べやすいポテトサラダと金時豆を食べさせるが、味が非常にうすくておいしくない。私の夕食用に買ったコロッケサンドを半分シータンに食べられてしまった。さらに、おかずなしでご飯だけを食べる食べる!大人用茶碗によそったご飯を、約2/3もおかずなしで食べたのだ。病院食に飲み物は付かないようなので、私のドリンクヨーグルトをシータンにあげ、自分も適当に食べる。 食後、やっと安心したシータンは私に抱かれたままウトウトしはじめる。「これで寝てくれたら、私が帰るとき泣かれずにすむかな」と思いきや、ベッドに寝かせたとたんに起きる。
 結局、20時の面会時間終了までシータンは熟睡してくれず、またもや泣く子を後にして帰る。今回は、点滴をしていないので両手は縛らないらしいが、それでも両足は縛るらしい。看護婦さんに後をお願いしつつ、後ろ髪を引かれる思いで帰る。

■退院の日…シータンが教えてくれたこと
 次の日、5月8日(土)はシータンの退院の日だ。パパが朝早く新幹線にて宇都宮に来た。退院は朝10時なので、朝ご飯の後、おばあちゃんとパパとあーちゃと私で迎えに行く。病室に行ってみると、シータンはミニーを抱いてうつぶせになって寝ていた。足には包帯がまかれており、ベットに結ばれている。きっと泣き寝入りしたんだろうな、と思わせる姿勢だった。ベッドの柵を少し下げると、すぐシータンは目をさまし、おびえた目をしてしがみついてきた。「よしよし、迎えに来てあげたよ。」と声をかけ、退院手続きをする。寝間着から普段着に着替えさせ、自販機のウーロン茶を飲ませると、体をふるわせて一気に飲む。病院内は乾燥しているから、よっぽどのどが乾いていたんだろう。完全看護とはいえ、言葉がはっきりと話せない子供ののどの乾きなど、きっと看護婦さんは気づかないだろうな、と思う。主治医の先生に5月11日(火)に再診するようにいわれ、晴れて退院だ!! 長〜い40時間の後、宇都宮の家で落ち着く。やれやれ。あーちゃもシータンも、うれしくて興奮状態で、活発に走り回って遊んでいる。走りすぎてあーちゃはテーブルに思い切りおでこをぶつけ、大きなたんこぶをつくる。シータンは階段からころげ落ち、ほっぺに線状の内出血をつくるし…、今回の実家行きはアクシデントの連続だ。 約束の再診の日、レントゲンをとり(例によって大暴れ・大泣き)、主治医の先生の診察をうける。肺炎の可能性は完全になくなり、「もう大丈夫でしょう」と。さらに、「本当は飲んでいなかったかもしれませんね。」とも。つまり、灯油は口にふくんだかも知れないが、飲み込んではいなかったかもしれない、ということで、それじゃなんのために親子ともつらい思いをして入院させたんだか、と思ってしまった。 すべて終わってみると、いろんな事が見えてくる。

・我が家以外のところでは、まず安全チェックをすること。

・これは危険だと思ったら、すぐ取り除く努力をすること。

・今回のシータンは用心のための入院だったので笑い話ですんだけれど、
 様々な病気で苦しんで入院しているたくさんの子供たちのことを忘れないこと。
 中でも喘息の子供はとても多く、またガン治療しているらしき、頭髪のない子もいた。
 今まで漠然と、子供が病気だと大変だなあ、としか認識していなかったが、
 そういう状態に置かれた親子への理解を深めることの大切さ。

終わってみれば笑い話の、大騒動の3日間だった。