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子どもが三階の窓から転落! 窓際の家具には注意して (小説家:山之口洋)

  はじめに

 千葉県市川市のわが家は夫婦と三歳の一人息子、ぼくの母の四人暮らし。対息子の安全対策には、階段に柵、ベランダに出られる窓にチャイルドロックなど、それなりに気をつけていたつもりでした。でも、日に日に成長して活発に動き回り、行動範囲も広くなるのが男の子。事故が起きた場所の危険性には夫婦とも気はついていて、つい数日前にも「柵を考えなくてはいけないね」と話し合っていた矢先でした。モノ書きの身で、おおむね家にいますから、息子にも目が届いているように錯覚していたかもしれません。つい、後手に回ってしまったのです。

窓際に置いたベッドが原因

 転落事故は平成14年6月10日、息子がちょうど三歳一カ月になった日に起きました。場所は3階の夫婦の寝室(写真1)。隣家と向かい合った窓際に二台のベッドのヘッドボードが寄せてあります。他に置き場所もありませんし、息子が小さいうちは危険もなかったのですが、早いうちに手をうつべきでした。写真は事故後にあわてて対策を講じたものです。  その日の朝11時ころ――ぼくは1階の書斎で仕事。妻は3階のキッチンで洗い物の最中。窓にはレースのカーテンがかかっているだけで、開いていました。息子はベッドに上がって飛び跳ねたりして遊んでいたのでしょうか。風に吹かれて動くカーテンに興味をもったかもしれません。突然、家の外壁を外から槌で叩くような音、隣家の主婦の悲鳴、そして息子のすさまじい叫び声がほぼ同時に聞こえてきました。息子が3階の窓から外に転落したのです。  玄関から戸外に飛び出しながら、そこが危険きわまる場所であることを考えずにはいられませんでした(写真2:転落事故のあった3階の窓から見下ろしたところ)。わが家と隣家の間隔はわずか120センチほど。その中間には隣家が立てた鉄柵と、まだ柵を作っていないわが家のむき出しのブロック塀が立っています。落下した息子の身体、とくに頭がそこに激突したらどうなるのか。考えただけで身がすくみました。現場の状況からは、どう考えてもぶつからずには済まないのです。
 


写真1
事故後、転落防止のためラティスを取り付けた



写真2
転落現場

 
  充実した救急医療体制

 戸外に飛び出し、顔中血まみれの息子を抱き上げて、玄関先に出した布団の上に横たえました。息子は身体をよじって泣き叫んでいます。ぐったりしていないことに、わずかな希望を覚えました。10分足らずで駆けつける救急車。運ばれる息子に両親がつきそいます。首や背骨が折れた場合のために身体を樹脂のブロックに固定するのですが、がんじがらめの姿から逆に大怪我を連想してしまいます。泣き声がしだいに弱くなり、救急隊員が無線で「意識レベルが悪化」などと言うのも、親の身には気が気でありません。旧行徳橋たもとの江戸川河川敷に、日本医科大学付属千葉北総病院(印旛郡)から「ドクターヘリ」が駆けつけてくれていました。医師と看護婦が搭乗する救命ヘリコプターです。息子とぼくがそれに乗って北総病院に。車で1時間半の距離もわずか10分ですし、その間にも救急医療を受けることができます。一刻を争う怪我や病気には、このスピードは文字通り命でしょう。後で聞けば、このヘリは平成13年10月から常駐しており、テレビでもよく紹介されているそうです。息子は期せずして最先端の救急医療体制の恩恵に浴することができたのです。でも、この時にはまだ、どれほどの怪我かもわからず、最悪の事態を予想していました。  一方、留守宅を守った母は、消防署員の方の現場検証に立ち会いました。息子が落下した窓の高さは、実測で地上7.4メートル。窓際に置かれたベッドを見て「あっ、これは落ちますよ。危ないですよ」と言われ、ちょっと赤面したそうです。窓の真下にあるブロック塀を見て「これは絶対ぶつかっていますね」とも。脅かしてくれるものです。  千葉北総病院の救命救急センターで約1時間の検査。親は廊下で気を揉むしかありません。その間に妻たちも車でかけつけます。検査の結果、息子は胸を強打したらしく肺が挫傷を起こし、いくつも開いた穴から空気が漏れているとのこと。顔面は青あざだらけ。全身のあちこちに打撲傷――でも、全身をCTやX線でくまなく調べても、頭を強打して脳内に出血が起こるとか、肺以外の臓器の損傷は見られないとのこと。骨も折れていないし、そもそも外傷がありません。事故当初血まみれだったのは、顔面を強打して大量の鼻血が出たせいでした。  よかった。本当によかった――でも、どうしてそうなるのでしょう。解せない表情の担当医に、現場の状況をなんども説明したのですが、するほうも半信半疑。だいいち、誰も息子が落ちるところを見てはいないのです。

いくつも重なった幸運

 後からしだいに判ってきたのですが、いくつものとても幸運な条件が重なり合って、息子の命を守ってくれたようです。事故現場を下から見上げると、いまだに背筋が寒くなります(写真3)。息子は3階の窓枠をはずみで踏み越え、表に飛び出しました。もし、外壁をこするように真っ逆さまに落ちたなら、とうてい命はありません。でも、どうやらある程度はずみがついて、放物線を描いて飛び出したらしいのです。それが一つ目の幸運。息子がどんな姿勢で落ちたかは、推測するしかありませんが、とっさに上体を「く」の字に折り曲げ、つまり木から木へ飛び移る子猿のような格好で(笑)、落ちたようです。隣家はわが家と同じ三階建てで、寝室の窓の対向側は各階とも30センチたらずの出窓になっています。2階の出窓に息子の身体は届きませんでした。息子が転落した窓から見下ろすと、1階の出窓の庇のふちが、いささか凹んでいました。上半身が当たった跡です。2、3日で自然に消えてしまったところを見ると、どうやら塩化ビニルのような、ある程度の弾力がある材質のようです。そんな場所に上体が届いたことが、二つ目の、決定的な幸運でした。隣家との距離が20センチ遠くても、逆に近くても、まったく違った結果になったでしょう。約5メートルを落下した息子の上体は出窓の庇に当たり、下半身は窓に激突しました。胸に打撃を受けて肺にいくつもの穴が開いたのはこのときです。でも、三つ目の幸運がありました。まさにその位置に、網戸が閉まっていたのです。めちゃめちゃに壊れ、ガラスも割れましたが、網戸が衝撃をやわらげてくれたおかげで、息子は窓ガラスを突き破って大怪我をすることなく、逆に跳ね返されて、最も危険な柵をすれすれで飛び越え、ほんの50センチの幅しかない、わが家とブロック塀の間に落ちたのでした。もちろん、庇に当たったせいで落下の勢いもそがれていたでしょう。  どれか一つでもこれらの条件が欠けていたらと思うと、いま書いていても背筋が寒くなります。ともあれその結果、息子は奇跡的な軽傷で済み、入院から3日目には退院できました。一生分の幸運を一時に使い果たしたのでなければよいのですが。文字通り九死に一生を得た息子に「落っこちちゃったねえ。痛かったねえ」と水を向けると、左手の甲にある切手大の擦り傷を指さして「ここ」と言うのが笑えます。サッカーW杯日本代表の宮本選手のような顔は自分で見えませんからね。

おわりに:危険な「窓と家具」の組み合わせ

 事故のあった自宅は、息子が生まれるときに、ぼくが自分で設計して建ててもらいました。はじめから危険な家を建てる者はいません。でも、窓と家具の配置、そして日に日に成長する子ども――それらが一緒になって、じつに危険な状況が生まれてしまったのです。ぜひ一度、家の中を点検して、そうした危険をチェックされるようお薦めします。そして、気づいたら日を置かず、一刻も早く手をうつこと。事故が起こってからでは遅すぎます。また、前に点検して安全だと思っていても、子どもが成長すれば条件が変わることにも、注意しなくてはいけません。  記念すべき(?)事故現場の寝室の窓には、ホームセンターで売っている園芸用のラティスを、五寸釘でしっかり打ちつけてあります。鳥小屋で寝ているようで見目は悪いのですが、息子が5・6歳になって、少しはわけがわかるまではと、我慢しています。命には変えられませんからね。  その後、息子は椅子を踏み台がわりに使うことを覚え、ますます目が離せなくなりました。近くに家具など置いていない小さい窓でさえ危険なのですから。しかたがないので、トイレなどに使うツッパリ棚を横に使い、窓の下半分をふさいでいます(写真4)。  災難は忘れたころにやってくる。そして、奇跡のような偶然はありうる。その二つをわが家は同時に体験してしまいました。
 


写真3



写真4

小説家:山之口洋さんのホームページはこちら→復路のランナー
今ではすっかり元気なお子さんの姿や、山之口さんの作品の情報などが閲覧できます。 上記のレポートは、「復路のランナー」で日記として紹介されていた事件を、 改めてご本人に書き直して頂いたものです。